生き方

幸せとは「なる」ものじゃなく「ある」もの

人生の目的って何でしょう。

今、何を目指して生きているか、明確に答えられますか?

抽象的なことであれば、各々、答えはあるでしょう。

お金に困らない生活をしたい、

楽しく生きていきたい

結婚して幸せな家庭を築きたい

好きなことを仕事にしていきたい

憧れの○○の仕事がしたい

などなど

既に将来の夢に向かって勉強したり、準備したりしている人は、

より明確なことを答えられるかもしれません。

でも「○○になりたい」や「○○に到達したい」というのは、目標・ゴールです。

その目標を果たそうとする「目的」は何か。

「何のために」目指しているのか。

理由を深堀りしていくと本来の目的は何だっけ、となっちゃいますよね。

突き詰めていけば、「幸せになりたい」というのが根源的な目的になるかと思います。

では、そもそも「幸せ」とはどういう常態か、何をもって「幸せになった」といえるのか、

考えてみたいと思います。

人間の根源的な欲求

究極を言えば、恐怖や不安を避けたいのと、快楽を得たい、という感情に尽きると思います。

快楽と呼んでいいか分かりませんが、その中でも、より本能的な欲求もあれば、自分を超越した博愛ということも含まれると思いますが、人は自分の欲求を満足するために生きています。

マズローの法則というものがあります。

心理学の世界では有名で、マズローという心理学者が唱えた説です。

マズローの法則とは、人間の欲求には「生理的欲求」「安全欲求」「社会的欲求」「承認欲求」「自己実現の欲求」の5段階があるという説です。

食欲、性欲など動物的本能に関わる生理的欲求は最下位にあり、そこから上に行くにつれ、より高次な欲求になるそうです。

自分はこの人生において、何者になりたいのか、何を成し遂げたいのか。

人生の目的を考える際に、整理ができる一つの目安になりますね。

さらに、自己実現欲求の上に第6の欲求として、「自己超越の欲求」があるとも言われます。

自己超越とは、自分の範疇を超えて、人のため、社会のために役立ちたいというような欲求。

これも考え方としては納得できます。

生命の8つの躍動「LF8」

また、別のものですが、心理学やマーケティングの世界では有名な「LF8」というモデルがあります。

LF8とはLife Force8の略で、生きるのに影響を与える8つの要素のことを指しています。

8つの項目は以下の通り。

  1. 生き残り、人生を楽しみ、長生きしたい
  2. 食べもの、飲みものを味わいたい
  3. 恐怖、痛み、危険を免れたい
  4. 性的に交わりたい
  5. 快適に暮らしたい
  6. 他人に勝り、世の中に後れを取りたくない
  7. 愛する人を気遣い、守りたい
  8. 社会的に認められたい

これらも確かに当てはまるし、納得できますよね。

旨いもん食べたいし、住みやすい家で快適に暮らしたいし、健康でいたいし、同僚や隣の人に負けたくないし、他人からスゴイと思われたいし。

人間はみんな少なからず、そう思うものです。

欲求が満たされれば幸せか

では、マズローの法則にせよ、LF8にせよ、これらの欲求が満たされれば幸せだと言えるでしょうか。

衣食住がすべて満たされ、全て欲しいものが意のままになるとどうなるでしょう。

例えば、独裁国家のトップがそれに近い常態になったとして、けど、何故か「幸せ」だと感じられない気がしませんか?

なぜか、不機嫌そうな国家元首のイメージが湧きました。

こんな逸話があります。

あるお金持ちの人がいて、道端でホームレスの人に出会い話をします。

「なんでこんなところで寝ているの?」

「昼寝したいから寝てるんです」

「働ければお金が手に入るよ」

「お金が手に入るとどうなるんです?」

「お金で好きなものが買えるよ」

「好きなものを買ってどうするんです?」

「家を買うことだってできるよ」

「家を買ってどうするんです?」

「快適な家のなかでごろごろ昼寝したりできるよ」

「じゃあ大丈夫です。働かなくても今すでに昼寝できてますよ。」

お金持ちの人は、お金が手に入り暮らしが良くなれば幸せに「なる」と考えています。

けど、ホームレスの人は、何もなくても今すでに幸せで「ある」と考えています。

そうなんです。

幸せとは成功した結果「なる」ものでなくて、明日からでも今日からでも今からでも「幸せだな~」と感じれば、幸せで「ある」んですよね。

何かおいしい旬の食べものを食べた瞬間、あったかいお風呂に入った瞬間、すぐにでも幸せを感じることができます。

最後に

人はないものねだりで、ないものを欲しがる生き物です。

ここじゃなくてどこか、今じゃなくて将来にその幸せを描きます。

でも、当たり前に感じる有り難さや、ふとした気づきや日常の出来事のなかにも幸せの種はいくらでも転がっています。

海外旅行に行かなくても、近場の公園で遊んだって幸せを感じます。

現に子どもの頃の幸せな思い出で、公園で楽しくブランコしたり滑り台したりしたこともありますよね。

今、幸せじゃない、毎日つらい、楽しくないと感じている人は、今の状態を客観的に俯瞰してみてください。

ありふれた日常、普段の生活の何気ないことを当たり前だと思わないでください。

将来ではない、「今」「ここ」にこそ幸せはあります。

人は幸せになるために生まれ生きています。

尊さと有り難さを感じ、「幸せ」を実感してみてはいかがでしょうか。